06年直江BD記念
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06年直江BD記念 
 
「社長、これは…?」
 処理済みの書類を受け取ろうとした手に、そっと載せられたものは、どう見ても書類の大きさではなかった。
「おとといはおまえの誕生日だっただろう? わしからの気持ちや」
 自分で選んだんだと言って、突然手渡されたものは、包装紙で包まれた、手のひらに収まるくらいの大きさの品だった。包みには、皮製品で有名な店のロゴが控え目にプリントされている。
「なんや、その顔は。気にいらんのか?」
「いえ、あの…すこし意外だったもので」
「何い?」
「…私の誕生日を覚えていてくださったなんて。ありがとうございます」
 直江は礼を述べた。
「大事な人間のことやからな。わしにとっても、会社にとっても。覚えていて当然や」
 しかし、直江は自分の誕生日など、狭間に告げた覚えはない。
 ここ2、3日の休暇を申し出た時も、理由までは言わなかったのだ。
「奥村がここ数日、嘆いていたぞ。『あいつは昔から誕生日は俺に祝わせない』とな」
 気のいい友人が、ここ数日しつこく飲みに行こうと誘ってくれていたが、自分の休暇を確保するために、誘いを断り続け仕事に没頭していた。
「奥村がそんなことを…?」
「まったく、水くさい。おまえが休暇理由を言わんから…『休暇が欲しければ自分で調整しろ』なんて言って無理させてすまんな」
 狭間製菓には誕生日休暇という制度がある。休暇申請時に、誕生日や前後についても、他の有給休暇よりも優先して取得できる。本人の当然の権利として、業務が忙しい時期であろうと取得させ、その間は上司がしっかりとフォローするようにと社内通達がされている。
 直江も、誕生日休暇だから…と言えば良かったのかも知れないが、今の直江の身分は、狭間製菓の社員ではなく、狭間自身に私的に雇われた秘書だ。社員ではないからと、狭間に遠慮して、ただ、数日まとまった休暇を取得したいとしか告げなかったのだ。
「来年からは、ちゃんとわしも気にして調整してやる」
 そう言いながら、処理済の書類の束を直江に差し出して、立ち上がった。
「これから会合で出かける。その後は社に戻らんから、今日はもう上がってもええぞ」
「社長…」
「たまには友人も大事にしろよ」
 直江は部屋から出て行く社長を見送りしながら軽く一礼をした。
 
 
「よお、今日はもうお役御免か?」
「奥村…」
 社長室を出たところで、明るい笑顔とともに友人が近寄ってきた。
「ふーん、社長からのプレゼントか?」
 奥村がすかさず、反対の手にもっていた包みにチェックを入れる。
「ああ」
「いいな、おまえ愛されてるねぇ…さっすが私設秘書は違うねぇ」
「茶化すな。それよりこれを」
 直江は書類を奥村に渡す。
「ああ、これを待っていたんだ。1、2、3、…よし全部あるな」
 奥村が満足気にうなづく。
「まったく、おまえが来てから仕事がはかどるよ。
あ、そうそう社長がこれを、渡しとけって言ってたっけ」
 Å4サイズの書類袋を手渡された。
「昨日、おまえがいなかったから、俺が預かっていたんだよ。『明日でいいから』って。自分で渡せばいいのに『忙しくて忘れそうだから』だってさ。急ぐものではないって言ってたぞ」
 急がないと言っても今日使うものであったら大変だ。
 直江は、書類袋の紐を緩めて、袋の中身をちらっと見る。
「…これは…」
 中には一枚、メモ用紙が入っていた。
「ん? 急ぐ書類だったか?」
 メモには短く2行、書かれているだけだった。
「…いや、平気だ。連絡事項のメモ書きだ」
 直江は、そう言って、書類袋を閉じる。
「今日こそ、どうだ? 久々に」
 奥村が、くいっと呑む仕草をみせる。
「そうだな、行くか」
「よぉし、じゃああと10分で仕事を終わらせるからな。待っててくれ」
 奥村は、書類を片手に自分の机へ戻っていった。
 
 
「しかし、おまえが戻ってくるなんて、本当に期待してなかったんだぜ」
「そうか…?」
 会社から、やや離れたビルの中にある隠れ家的な和食店で、直江は奥村にビールを注がれていた。
 小さく、グラスを合わせて乾杯をした。
「そうだよ。大体、おまえも薄情なやつだよな。長いこと連絡してこなくて。俺が実家に問い合わせたら、行方不明とか言われるし…マジでどうしたのかと思ってたよ」
「…連絡できる状態じゃなかったからな」
「まあ、俺は今、おまえが目の前にいることだけで十分、満足してるけれどな」
「奥村……」
 再会した直後は色々と理由を聞き出そうとしていたようだったが、直江がまったく口にしようとしないので、深く追及するのをやめていた。直江はそんな友人の気遣いがありがたかった。
「ま、心配かけたワビなら先日、おごってもらった件でチャラにしたし、今日はおまえの数日遅れの誕生祝いだ。ほれ、どんどん行けよ」
「ああ、悪いな」
 どうしても誕生祝いをしたいらしい友人が、まだ空にもなっていないグラスに注ぎ足していく。
「おい、注ぎ過ぎだぞ」
「いいから、いいから。さ、食い物もどんどん頼もう。おまえ、これなんか好きだったよな、よし」
 メニューを見ながら、奥村がさっさと選んでオーダーをはじめる。
「おっ、これもうまそう。どうだ、こんなのも好きだったよな? これを2つ。それからこっちの揚げ物もいいな、うん、頼むわ。…それと…」
 奥村が店員相手にオーダーをしているのを横目に直江はそっと腕時計を見た。
『まだ…19時半か…』
 視線を窓の外へ移すと、外のビル街の明かりが見える。まだ車通りも激しく、賑やかな夜景だった。
「おいおい、まさかもう酔ったなんて言わないだろうな…」
 気がつくと奥村が、オーダーを終えてこちらを見ていた。
「まさか。夜景をみていただけだ」
「そりゃ良かった。おまえを部屋まで担いでいくのはゴメンだからな」
「その台詞、そっくりおまえに返すよ」
 苦笑しながら、直江はグラスを持ち上げた。
「言ったな、よし、今夜は呑み比べるか?」
 奥村も挑戦的にグラスを持ち上げた。
「そうしたいところだが、明日も仕事だからな…」
 その一言で、直江はあっさりと奥村の挑戦をかわす。
「そんなこと言って、休日前だって『明日は社長に呼ばれてる』って言って、とことん呑まないじゃないか」
「そうだったか?」
 奥村はそうだ、と力いっぱいうなづいた。
「気のせいだろう」
 直江はあっさりと、否定する。
「そんな訳はない。大体、社長も社長だよ。休日といえば、おまえを引っ張りまわしてさ」
 再会してから、奥村と休日に出かける時間をもっていない。そのことが不満そうだった。
「仕方ないだろ、世間は休日でも社長は仕事だよ仕事。一般社員とは違うものだから」
「でもさ…あ、おまえそういえば、社長から何をもらったんだよ?」
 奥村は唐突に先ほどのことを思い出した。
「さあ? まだ見てないからな」
 もらった包みは、カバンの中に入れてある。
「開けてみろよ。俺、見たいし」
「奥村…おまえな、ちょっとは遠慮しろよ」
「いいじゃん、社長の選んだ品に興味あるし、見たい見たい、見せろよ」
 直江の腕をつかんで、騒ぐ。
「なあ、いいじゃん、減るもんじゃないし」
 仕方なく、直江はカバンから包みを取り出す。
 その包みを見て、奥村がまた騒ぐ。
「うぉ、社長ったら男前だね…。ただの秘書にやるプレゼントですかね、コレ」
 包み紙にプリントされた店のロゴを突きながら、奥村はビールを一気に煽る。
 そんな奥村に直江は不思議そうに尋ねた。
「…おまえだって、社長から誕生日祝いをもらったりしたことぐらいあるだろう?」
 ビールを手酌している奥村は、すこし睨むような眼をした。
「俺は、社長からは万年筆を頂きましたよ。もらい物の下げ渡しとしてね」
「いいじゃないか、もらってるなら」
 直江は言いながら、包みを開いていく。
「いや、良くない。大体おまえより俺のほうが長年仕えているってのに、おまえは自ら選んだ品で、俺のときはもらい物。この差は何だよ。ああ、やっぱり愛されてる奴は違うね」
 ロゴが箔押しされた外箱のふたを開けると、中から出てきたのは、キーケースだった。
「おお、いいね…どれ、俺がもらってやろう」
 奥村が手を伸ばして、箱から取り出そうとする。
 その手を直江が軽く叩いて、自分の右手でキーケースを箱から取り出した。
「間違ってもおまえにはやらない」
「はいはい、俺が悪うございました」
 直江は、しばらく考えてから、奥村の手の届かないところに置いた。
 そして自分のキーケースを取り出し、キーを3本外していく。
「お、おまえなかなかいい物を使っているじゃないか。って、おい何でキーを外しているんだよ」
「折角の社長の心使いだからな。ありがたく使わせて頂く」
 キーを付け替えて、新しいキーケースを奥村に見せる。
「へぇ、6本つけられるタイプか。いいよな、コレ…本数に余裕があると何かと便利でさ。俺が使ってるやつ、3本のタイプだから余裕がなくてさ…複数を一箇所につけちゃうんだよな」
 ほら、といいながら、奥村は自分の、ややくたびれた感じのキーケースを見せる。ジャラジャラと鍵がついていて、どれがどの用途のものなのか、わからない。恐らく本人以外には判別不能なくらい複数の鍵がついている。
「おまえの元のやつも5本のタイプか…ああ、これでもいいな」
 奥村は、そう言いながら直江の元のキーケースを奪う。
「おい」
「いいだろ、新しいのにするんなら不要だろ。俺がリサイクル品として活用してやるって」
 ちゃっかり懐に入れてしまう奥村の様子に、ため息をつきながら、直江は諦めた。
「でもこっちの社長のやつ…やっぱりいいね」
 奥村が、空いている2箇所の金具を弄びながら、呟いた。
「会社とマンションと車、あれ?あと1つは…」
「予備の鍵だ」
 慌てて、直江はキーケースを奥村から奪い返す。
「へえ…予備ね…家の鍵っぽかったけど」
「だから、予備だろう」
「…女か?」
 剣呑なまなざしで、奥村が問いかける。
「いや。違う」
 直江が即座に否定する。
「ほー、違うんですか、いいじゃないですか、隠すなよ」
 奥村が、グラスを片手に探るように身を乗り出して聞いてくる。
「そんな暇もないからな」
 その言葉に信憑性があったのか、奥村は深く座席に座りなおした。
「まったく、昔のおまえとは別人のようだよ」
「何が」
「その真面目ぶりがさ」
 ぐいっと、奥村はグラスをあけた。
 
 
 久々に友人とゆっくりと呑んだ夜は、夜通しとまでならず、22時半くらいに切り上げた。次は直江が奢るから、という事でまだ呑み足りない様子の奥村を納得させた。
 奥村と自分のマンションは店からそれぞれ反対方向だったため、奥村とは店の前で別れた。
 しかし、直江は自分のマンションではなく、別の方向へ向かっていた。
「まったく、あの人は…一体何のつもりで……」
 呟きながら、直江は夜の街を目的地へ急いだ。
 
 23時。
 チャイムを鳴らすが、反応がない。
 もしや…と直江は、貰ったばかりのキーケースを取り出した。
 4本ついているキーの一番端のものを選び、鍵穴へ鍵を挿す。
 中に入ると、うっすらと明かりがついていた。
 玄関にある靴は、見覚えあるものだ。どうやら無人の部屋ではなさそうだ。
 反応がないので、勝手に上がりこむ。
「時間通りだな、橘」
 リビングには、見覚えのある人物が待っていた。
「社長…ここは一体?」
「言っただろう? わしからの気持ちだと」
 明かりに目が慣れて周囲を見回せば、調度の整った室内である。
 しかし、部屋に生活感がない。
「全て、おまえのために用意したものだ。おまえのものだ」
「は?」
 直江は言われた言葉に理解ができず、思わず聞き返した。
 その直江の腕をとり、狭間は直江を引き寄せた。
「奥村に渡しておいたメモも読んだだろう? 明日からでもここに住め」
 奥村から、渡されたメモには、『譲渡品 5/5 23時〜』と、ここの住所しか書いてなかった。
 確かに譲渡品とは書いてあったが…。
「しかし、いくらなんでも…」
「だから、わしの気持ちだ」
 肩へ、そして腰へと腕を回されて、直江は身動き取れなくなってしまった。
「社長っ…」
「わしの元へ戻ってきてくれて、嬉しかったぞ」
 耳元で囁かれ、直江は体を揺らした。
「わしはおまえの事を忘れられんかったぞ」
 覚えのある、クセのある香水。仕草。そして労わるような指の感触が直江に過去の出来事を思い起こさせる。
「ちがっ……俺が戻ってきたのは…ッ、こんなつもりじゃ」
 直江が反論しようと、狭間の腕を振り払おうとする。
 しかし、着やせする狭間の腕の力は直江よりも強く、振り払うことができなかった。
「相変わらずだな。…おまえのそんな表情を見るのも。…どうした、何故震えてる」
「…離してください。俺は…そんなつもりであなたの元へ来た訳じゃない」
 だが、そんな直江の言葉は、待ち続けてきた狭間には通用しなかった。
「そんな強がりを言って。わかっとる。おまえはそういう男だった。わしがもっとおまえを素直にさせてやる」
 言うと、狭間は近くのソファに直江を突き飛ばした。
「……っ」
 首元のネクタイを緩め、狭間が近寄ってくる。
 直江は慌てて起き上がろうとしたが、狭間はその動きを押さえ、直江の上にのしかかってきた。
「楽しい夜になりそうや…のう、橘」
 
2006.05.03

 2006/5/5 UP
 
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