新緑の頃
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新緑の頃(長秀×直江) 

 あれから何度、この季節を迎えただろう。
 沈静化へ向かうと思われた闇戦国は、今では現代人を巻き込んで、小競り合いが続いていた。
 あの頃、同盟関係にあった相手たちも、信長の浄化が確認されると、次第に団結力が薄れかつての目的を思い出して活動を続けるもの、赤鯨衆に協力するもの、などそれぞれが、それぞれの道を歩きはじめていた。

          ◇

 見上げると、木々の緑が目に眩しい。
 駐車場からのわずかな通路だが、歩道の横の街路樹で適度な木陰が作られている。
 歩道に沿って花壇も並び、あたりは優しい空気に満ちていた。
 差し入れの紙袋をもって道を歩いていると、やがて目の前には建物の入り口が見えてきた。
 直江は受付を済ませると、目的の部屋へと向かった。
 部屋はしばらく訪れなかったうちに三階へと移動になったらしい。
 混んでいるエレベータを避け、階段を使うことにした。
 午後の日差しが、踊り場へやわらかく差し込んでいる。
 その階段の途中で、階段を下りてきた人物と目が合った。知らない人間ではない。
「来たのか、直江」
「……ああ」
 多くは語らない。相手も望んでいないだろう。
 かつての経緯を思い出すと、今でも複雑な心境になる。だが、こだわっているのは自分だけかもしれない。
「一番奥の部屋だ」
 そう言って、すれ違いに階段を下りて行こうとする相手の背中を見つめて、直江が声を掛けた。
「小太郎、氏康公によろしくと伝えてくれ」
 階段の踊り場で、小太郎は一瞬こちらを意外そうに見上げたが、再び無表情のまま階段を降りていった。
 
          ◇
 
 部屋の片隅には、さきほどの小太郎が持ってきたと思われる花束があった。
「…まぁったく、俺としたことが、ドジったぜ」
 顔をみるなり、開口一番にその部屋の住人が愚痴りだした。
 先日の戦闘は、小太郎たちと一緒に行動していたのだが、味方だと思っていた小太郎配下の風魔忍軍の一部が、大霊の呪術力で操られ、思わぬ同士討ちに発展してしまった。
 その騒ぎで、長秀は生死をさまようほどの大怪我を負い、今もこうして入院中だ。
「小太郎にも、おまえのせいじゃないって言ってるのに…」
 かすれ声で、言葉を紡ぐ。
 頭に巻かれた包帯が痛々しい。
 全身に負った怪我は、生死を彷徨うほどの大怪我だった。
 内臓にまで達した傷もあり、まだ予断を許さない状況だ。
 こうして意識があるうちはかろうじて話もできるが、全快する見込みは五分五分と言ったところだ。
 脊髄を強打したため、どこに麻痺が残るかわからないらしい。
 小太郎は、風魔の頭領として責任を感じているらしく、ことあるごとに見舞いに訪れているらしい。
「俺と違って、おまえのことは気に入っているんだろう。なにしろ仲良く『同僚』してただろう?」
「あれは、おまえのせいだろう。第一、小太郎に気に入られても……っぅ」
 笑いかけながら、起き上がろうとして、どこか傷口が引きつったらしい。
 眉間にしわを寄せて、苦しそうにしている。
「長秀、無理するな。楽にしていろ」
「…痛てぇ。やっぱ無理か」
 直江の手を借りながら、再びベットに横たわる。
「いくら力使って回復が早いといっても、安静にしていなければ、直るものも直らないだろう?」
 直江は長秀の額に浮かぶ汗をふき取ってやる。
 (痩せたな…)
 と、直江は至近距離に長秀を見て思った。
 怪我のせいだけではなく、ここ数年にわたる戦闘で、休む間もなかった彼らだ。
 肉体的にも精神的にも限界が来ていた。
 目を閉じて、直江のするに任せていた長秀が、ふと、その直江の手首を握った。
「長秀? 」
 何を、と言い掛けて動きを止めた。
「直江…頼みが、ある」
 恐ろしく真剣な表情で告げた。だが声を発するのも、今の体では相当つらいはずだ。
「長秀、伝えたいことがあるなら思念波でいい。こちらから読み取る」
 すまない、と口だけがわずかに動く。
『もう…この体は駄目だろう。長くはもたない』「そんなことは…」
『わかるんだ。自分の体だからな』
 長秀は目をつぶって、呼吸を整えている。
「今は怪我のせいで少し弱気になっているだけだ。
ゆっくり養生してろ」
『無理だ。第一、敵さんがそんなに待ってくれないだろう?』
 今の情勢を、長秀なりに気にしているらしい。
『だから、頼む。俺が死んだら、おまえの力で、すぐに換生させてくれ』
 直江は、長秀の顔をじっと見つめている。
「長秀、おまえ………」
『わかるだろう? 今の俺には、もう…換生する力なんか、残っちゃいねーんだよ』
 長年の戦いの疲労度は思ったよりもはげしく、消耗しきっていた。
『まだ、おまえひとりにさせらんねぇんだよ』「………」
 長秀の言いたいことはよくわかる。それが、長秀なりの思いやりだとはわかっていた。
 これからの長い年月を思えば、すでに純粋な意味で仲間と呼べる者たちは残っていないのだから。
 まだ、大斎原の大霊たちの後始末は終わっていない。
 ここで、彼という戦力を失うのはつらい。
 だが、それだけの理由でこれ以上換生させる訳にはいかなかった。
「長秀、でも怨霊調伏はもう、義務じゃない。昔とは違う」
 だから自分のことだけを考えるべきだ、と。
「もういいんだ。そのときが来たら浄化しろ。おまえはすこし休むべきだ」
 長秀は首を横に振った。
『直江……聞けよ、俺は……』
 すがるような眼差しで、長秀は直江を見つめている。
『俺はまだ、おまえと共に居たいんだ』
 強い思念は、まだ彼の執着の現れでもあった。
「…長秀、おまえ…」
 長秀が何事かを言おうとした直江の腕を強く引いた。
 バランスを崩した直江が、長秀の体の上に覆いかぶさった。
「………………」
 唇が触れるほどの距離に近づいた直江に、長秀が何事かをつぶやいた。
 聞き取れなくて、顔をあげた直江の頬に、そっと顔を寄せた。
『…おまえたちを見届けてやるって、言っただろ。大将』
 触れている長秀の手が震えていた。
 直江は、もう片方の手で、自分の手首をつかむ長秀の腕をはずし、ゆっくりと起き上がった。
「…わかった。でも換生は無理だ。今のおまえでは耐えられない」
『だから、おまえに頼んでいるんだ』
 直江は首を横に振った。
「おまえは少し魂を休めたほうがいい。だが、浄化しろとは言わない」
 直江は、長秀の手を握った。
「四国へ行け」
『四国……?』「そうだ。あの人の作った結界はまだ健在だ。だから四国で休め」
 長秀がかすかに目を開いた。
『そっか…すっかり忘れてたぜ』
 ここ数年、ずっと各地を飛び回っていたせいで、四国へ寄り付かなくなっていた。
 もっとも、今空海として現れる彼の分身を見るのが辛かったせいもあるのだが。
「おまえも、俺もあれからずっと…後始末に追われてたからな」
 遠い目をしながら、四国の情景を思い浮かべる。
『あいつが死んでからも…結局あいつに助けられるのか』「あの人は死んでいない」
 一緒に生きているんだと、何度も直江は言い続けてきた。
 その何度も聞いた答えに、長秀は微笑んだ。
『わかったよ。直江』

          ◇
 
 別れ際、直江がドアノブに手を掛けながら告げた。
「もう、ここへは来るつもりはない。…元気でな」
『ああ…。またな』
 まだこれで別れではない。だからまだ別れは言わない。
 俺たちは、また必ず会えるのだから。
 お互いに生きる意志さえあれば、必ず会える。
 いつか会えるなら、それでいい。
 きっと、今と変わらないおまえに会えるだろう。
 今日、伝え切れなかった想いは、その時に伝えればいい。
 
─ま、俺が次に会うまで覚えていられたらの話だが。
 
 遠ざかっていく足音を聞きながら、長秀は穏やかに目を閉じた。
 
   2004.5.30
 
 
 2015/1/9 作成
 
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